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impressible

ながいよ。(2004.10.9 00:08)

ながいよ。(2004.10.9  00:08)_b0033247_21492035.jpg
きつい。きついよ。ねむいよ。でも書きたいよ。ううう。
なーは昨日の夜から寝てません。眠れませんでした。前2日間寝すぎだっちゅーの。結局朝5時から色々してまして・・・あ、写真は瑠莉花のお部屋第1弾。まだ飾りも何もしてあげてません。これに周りに花柄のカーテンとランプをつける予定です。
そして、朝風呂した後、瑠莉花のドロワーズ・・・かぼちゃパンツを縫っていました。これが予想以上に困難で(´▽`;)
元の型紙はジェニーちゃんサイズです。これをMSDサイズに変えるので、瑠莉花のサイズを測ったあと、ジェニーちゃんがいないのでブラ子のサイズを測ったりしました。それで、それぞれの倍率にあわせて型紙の大きさを変える・・・なんてことをやったんですが、どっこい。MSDは幼児体型。ジェニーやブラ子はスマートなお人形さん体型。それぞれの倍率なんてやると型紙はめちゃくちゃになりました。それでしょうがなく。瑠莉花のウエストがブラ子の1.9倍だったので、全部1.9倍にしてみました。どっこい。妙な大きさになってしまい、大きすぎるのではないかとハトロン紙を縫ってみました(ぉぃ)。それで気づいたのですが、全部1.9倍にしたので、縫い代も1.9倍になっていたのです(気づけ)。縫い代はそこまで大きくなくてかまいません。とりあえず、半分の大きさに切ってしまいました。(大雑把だ)。それでOKを出し、本縫いへ。ところが、裾のゴムが伸びなくてですね(ぇ)。瑠莉花の太ももは周囲12cmなのに、ゴムを13cmにしないと、裾に足りないんですよ。これはもう型紙の問題だと割り切って13cmで縫いました(ぉぃ)。まあ、縫い代で1cmは短くなるからいいんですよ。ただそれが、ギャザー用のゴムで、太くて、ヘンな仕組みで、2列縫わなくちゃいけなかったんですよ。おかげでギャザーが激太に。・・・まあいいかとあきらめて、そのまま縫い進め、ウエストへ。ウエストはもうテキトーに3つ折しました。おかげで、妙に股上が浅いかぼちゃパンツに。そして、またギャザー用のゴムでウエストも始末してくれようと思ったら、やっぱり伸びが足りませんでした。そこで急遽普通のゴムにしたんですが。ゴムをいれずにゴムの入れ出し口を縫い閉じてしまいました。しかたなく、ミシン目をほどき、もうテキトーにゴムをいれゴムと布をミシンで縫い閉じてしまいました。もう始末も返し縫で終わり。
・・・かくして、瑠莉花ちゃんへの初めての手作りの品はこうやって出来上がったのでした。・・・こんなん見てると世の中の皆さんが裁縫できますよ!!って感じですね~~。はっはっは。ながいよ。(2004.10.9  00:08)_b0033247_2232797.jpgこれが瑠莉花ちゃんのドロワーズです。結構かわいいでしょう?生地もレースも選び抜いて買ってきましたから!・・・それをこんな大ざおっぱな縫い方をするんかい。って感じですねー。人生そんなもんです。

そして今日の朝、親父は台風の沖縄へ。無事に帰ってこいよー。と、この時期に海ではしゃいで高波にのまれて行方不明とか言うハズイことをしてくれるな。と散々口すっぱくしていったのですが、それに対して親父の返事。「まだ10kmも走らせていない新車をおいて死ねるか!」・・・さすがわが親父よ。どこかずれてる(ぇ)。(いや、これが世間一般の常識でなーがずれてるのか?)

そして、親父がいないのをいいことに「梅の花」と言う豆腐料理屋さんで食事してきました!ひさしぶりー。おいしかったー。親戚が「あまり好きじゃない」と言ってたそうですが、豆腐好きじゃないやつは来るな。ってところですよねー。味も薄味だし、うーん。濃い味好きな人もダメですよねー。なーは醤油が基本的に嫌いな人なんですが、(薄味が大好き)(酢醤油は別。ゆずのいい匂い大好き。)(醤油使うのって・・・たぶん寿司と漬物だけ・・・普通か。)(煮物はかつおだしが基本ですよ奥さん!)梅の花の醤油はおいしいので好きです。豆腐に醤油かけるのって大嫌いなんですけど、(醤油かけないと食べれないような臭い豆腐は食べませんよ奥さん。)梅の花の豆腐はかけてもかけなくても食べれるので好きです。・・・んー。でも、高校の友達も「梅の花」嫌いって言ってなかったかな。と今ふと思ったり。まあいいか(ぉぃ)。
ながいよ。(2004.10.9  00:08)_b0033247_22574126.jpg今、母は隣の部屋で「クイール」のビデオ見ながら泣いているようです。なーはもうこんな疲れてるとテレビ見れません。音楽がいいです。でも疲れていてもネット・・・パソコンには向かえます。どうしてでしょうか。

前も言いましたが、なーは自分の中のモノを言葉にすることが得意なようです。でもこれは、病気がだいぶ良くなった時点からで、病気の症状が出だしてからは3つのことしか考えられませんでした。「死にたい」「痩せなきゃ」「勉強しなくちゃ」この3つです。この3つばかりぐるぐる考えていつも同じ答え。でも、その答えには行けなかった。

なーは誰にもいえないものを抱えていました。自分のこの中のものが異常であることが分かっていたからです。だから、さしあたり、表面の症状を手紙に書いて、今でもかかっている心療内科の先生に渡してもらいました。その先生は、確か、母が6件くらいカウンセラなどを当たって紹介された先生でした。
先生はなーの手紙を読んで言いました。「この子はもっと大変な思いを、症状を抱えている。連れて来てもらえませんか。そうでないと薬は渡せません。」
なーは一縷の光を見たような気がしました。これにならすがってもいいかもしれないと思いました。でも、他人は信じられませんでした。そのときは、誰も、自分自身も信じていませんでした。
最初の面談は先生と二人きりで。母は外で待っていました。なーはこのころは良く覚えていません。母によると、ずーっと2人での話が続いて。でもなーは先生にすごく攻撃的で、先生はなーがいいというまでなーの話した症状を母に伝えませんでした。それがいつまで続いたのか分かりません。でも、そのうち、薬が効きだして、急に焦って勉強したり、眠り続けたり。試行錯誤が続きました。そして、なーの病状が一定に落ち着いて、先生は「感情障害」と言う病名をなーの病気につけました。
ながいよ。(2004.10.9  00:08)_b0033247_231887.jpgなーは自分は統合失調症(分裂病)だと思っていました。なーの中にはなーがいっぱいいたからです。

最初は「お母さん」が出てきました。病気になって、予備校を休んでいたときです。ただひたすらベッドで泣いていました。すると、頭の中に着物姿の髪の長い「お母さん」が出てきて、なーのすべてを肯定してくれました。なーは現実の母が大嫌いでした。だから、このお母さんを喜んで受け入れました。そして、最初から、この「お母さん」はなー自身であることを理解していました。
次は「女子高生」が出てきました。ミニスカートにショートカットの女の子です。攻撃的でなーのすべてを否定しました。「お母さん」と「女子高生」はよくケンカしていました。なーはそれを遠くから眺めていました。
次は「真っ黒なもの」が出てきました。それは何も言いません。いや、「すべてが終わるよ。」とだけ言いました。「お母さん」と「女子高生」は黙るようになりました。「お母さん」も、一人のときは肯定してくれるのに、「真っ黒なもの」が出てくると黙るのです。「女子高生」と一緒に「真っ黒なもの」から距離をとっていました。
ある日、3人とも消えてしまいました。
なーの中は真っ黒になりました。
何も考えられない。食べたいものだけを食べて寝る日々が続きました。
なーが高い場所から真っ黒な自分を見ていたときです。きのこが生えました。きのこみたいな形をした小さななーです。それは「ひとつのこと」しか言いませんでした。例えば、「死にたい」と言うきのこなら「死にたい」を。「この家が嫌い」と言うきのこなら「この家が嫌い」とだけしか言わないのです。それはぽんぽんぽんぽんいっぱい生えてきて、真っ暗ななーの中はそれらでいっぱいに埋め尽くされました。あまりにいっぱい過ぎて、なーは全部の声を聞き取れませんでした。
そして、それらは「話し合い」を始めました。なーは高いところから見てるだけです。なーには何の権利もありません。でも、きのこ達はそれぞれ、同じことしか言わないので、いつも「話し合い」はぐちゃぐちゃになって終わってしまいます。それが飽きもせずいつまでも続くのです。ながいよ。(2004.10.9  00:08)_b0033247_2341182.jpgたまに、何人かだけ出てきて、なーの中で色々主張することがありました。なーはそれを聞きます。でも聞くだけで何も出来ません。たまに、それらの主張に沿って動くこともありましたが、動くことがほとんど無いのでごくたまにでした。
たまに「お母さん」を探しました。でも「お母さん」はきのこたちとは別の真っ暗なところで笑って立っているだけでした。それでも、なーは「お母さん」が大好きだったので、それだけで十分でした。
ある日、きのこに「自殺しよう」のグループが出来ました。それぞれ、違う主張から自殺へと行き着くのです。なーは自殺に向かって動き始めました。
そんな時、叔父さんが帰ってきて、なーとちょこっと話をしました。そして、「パソコンを買ってあげるから、自殺をしばらく延ばさないか」と言いました。なーはパソコンと言う未知の分野に興味を持ちました。そして、買ってもらって扱って、自殺をしばらく延ばすことにしたのです。
叔父は母に「この間に病院を探して連れて行け」と言って茨城に帰っていきました。そして、母は一生懸命いろんなところに行きました。そして、今の心療内科の先生に行き当たったのです。

こうやって、なーは生きています。結果的になーは「双極性そううつ病」になってしまいましたが、なーの症状は境界性を持ち、色々と判断に苦しむようです。
今は分裂病も治ってしまう世の中です。なーも6年も苦しんでいますが、もうきっと好きなことしか出来ないと思うのですが、好きなことを頑張って職に出来たらと思います。

ああ、すっきりした。みんな、頑張って生きようよ。なーはあのどん底からここまで這い上がってきた。ねえ。なーみたいのでも生きてていいんだよ。みんな、みんな、ありがとう。

ところで。瑠莉花の写真、みんな目がつぶれていて怖いね(笑)
by nonbike | 2004-10-09 00:06
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